めふぁにっき

すべての独身が自由に楽しく生きられる世界のために

チラシ紙で紙兜

本日三本目の記事。

日曜くらいしかたくさん書けないんだもの…。

トピックごとに書き分けているとこうなるの巻。

 

タイトルだけど

5月5日になるとたまに親父が作ってくれました。

息子ときたら折り鶴ひとつ折れません。こんなんで人の親になれるんでしょうか。

(いや、なれない)

 

今回はガチのチラウラ(チラシの裏の略。)です。

noteとかでなんか発達障害とか、毒親とかそういうテーマについて色々な人が書いてて、そういうのを時々読むんです。んで特にブログとかにするでもなく、友達と通話でべらべらしゃべって終わりにしちゃう。

なんかもったいないのでどっかに書いておくというスタイル。

 

>親を演じる

別にこれは親に限ったことじゃないんだけど。

一般的に人が親になるっていうと、男女が出会って、恋をしたんだか見合いなんだかわからないけど、とにかく子供ができて、産むって決めて、生まれるまでの時間が10か月くらいあってそれからぽこんって出てきて親になっちゃう。

母親からすれば身ごもってからが親だけど、親父からすれば、嫁の股から出てきて抱いて初めてうわあ俺親父になるんだ!どうしよう!ってなる。

らしい。

なんでってそりゃ全部受け売りだから。

 

でもどちらかというと、今回書きたい「親を演じる」って話は、子供が言葉を覚えだすようになってその後の話。

何が普通かはわからないけど、普通のいい大人は子供の前では下ネタはあんまり言わないし、セックスって何のお話ですか??みたいな顔して生きてる。

 

うちはそうじゃなかったよ!

とーちゃんいないときにかーちゃんが元カレの話とかしてきたことあるし!

って人も、よその子供となんか話をする機会があった時はそういうワードは言わないように心掛けるはずだ。

酔っぱらってなかったらだけど。

 

でも、よほどお堅い人じゃなかったら、オトナ同士で話す時は下ネタとか、

しょうもない会社のごたごたの話とかするもので、

そう考えると子供の前での「大人」像というのは、

社会全体でなんとなく共有されてる「子供の前では大人はこう振る舞うべきなんですよ」というオトナ像に基づいてあくまでも役として、良心的な大人を演じている。

 

それが教育にいいか悪いか置いておいて、そうやって大人が大人を演じるがゆえに子供はどこか、例えば思春期あたりでおかしいぞ??これってお芝居なんじゃない??と気づいてしまう。そりゃあ数年間にわたって社会の全員がお芝居を続けることはできないし、実際子供の方が身体の面でオトナ側に近づいてきちゃうから、そういうわけにもいかなくなってくる。

 

子供にとって、12年間自分を養ってきた親はなんつーか「人間」じゃない。

神格化とも違うんだけど、なんだか特別な「親」になってしまう。

ここ数十年核家族化も進んできて、大学生で彼女とかよく連れてて時々悪い遊びを教えてくれるいとこでもいなければ子供は「演技してないオトナ」に触れる機会がないからますます親を「親」として見てしまって、一人の男、一人の女だったことに気づきにくくなる。

 

お芝居の話に例えよう。

嫌煙家の役を演じていた役者が、たとえば稽古終わりに楽屋裏で一服していてもそりゃ誰も怒らない。彼は役者としてのスタイルはどうなのか置いておくとして、舞台の上の役と、一人の人間としての役者は別の人格だから、矛盾する行動をとったとしても何も不思議じゃない。

 

けれど現代社会において子供は、観客席に座って、生まれてからずっと役としての親ばかりみているから、どうしても人間としての親を受け入れられない。

実はこれが反抗期の原因の一つなんじゃないかと思ってる。ティーン特有の感情というのはあるだろうけれど、俺がティーンだったころを思い返すとこうだったんじゃないかなという説明を無理やりこじつけるとこうなる。

 

年齢が大人になって(子宮から這い出て20年経過して)いろいろ振り返ると、

あーオヤジもカーチャンも人間だったんだな、演じてくれてたんだな

ということに気づいて、新たに関係を結びなおしたりする。

つまり、新たな親と子の役を設定しなおす。そうじゃないと誰かと結婚した後も12歳と35歳のままでいることになる。孫の顔も見せられないし、いざという時に介護もできない。節目節目を迎えるごとに大人と大人の間で役の設定は更新されていく。

そういうものだと俺が思っているだけかもしれない、子供のころからあまり関係性が変わらないという親子も世の中にはたくさんいるのかもしれない。

 

なんだかいろいろ書いたけれども、この社会は、いくつかのお約束で成り立っている。

・人間には役者じゃなくて人間としての顔がある

・社会で人とかかわる時には、基本的には役どうしとしてかかわらないといけない

>たとえば子供には「いい大人」の顔で接しないといけない

>たとえば恋人には「よい恋人」の顔で接しないといけない

・あまり現実にそぐわなくなってきたら、話し合って役の関係性を変えてもいい 

 

だからこの社会においてオトナというのは「あくまで役を演じていると自覚しつつも、その場の問題を役を演じながら解決しようとする人」のことを指す。

だから別にオトナであるかどうかに年齢はあまり関係ない。

別に子供であっても、大人になれない親と親の間で「子供」の役を演じることもある。

こうなってしまえばいくつであれ、オトナみたいなもんだ。たいていの場合、子供みたいな親が力関係上は上になるから、よほどコントロールができないとなかなか子供にとっては厳しいだろうけど。