時々帰らぬ独り暮らし
朝ちょこっと書こうと思って書いたチラシの裏の落書きです。オチはないです。
めふぁにっきです。
朝から散歩をして、帰りがけに久々になか卯でうどんを食べて
なんつーか妙に健康な朝でした。
何かを書くときは「覚えるためじゃなくて忘れるために書く」というモットーで書いているので、自分で書いた記事とか昔書いた原稿(大学時代)とかまるっきり覚えてなくて、たまに本棚から取り出して読んではこんなことを考える人がいるんだな、暇なんだろうなくらいのテンションで読んでることが多い。
嘘かまことか、めふぁ父は研究分野でこれはいいなあと思う論文を見つけて著者欄を観たら自分の論文だったとかうそぶいてたけど。
ひょっとすると還暦過ぎるまで生きるとそんなこともあるのかもしれない。
あるトピックについて書くと、自分の中の考え方の整理にはなるから
その話題について話しやすくはなる。気はする。
最近気になっている物書きにまつわる仮説として、
「ドロドロした作品を書く作家は、ドロドロを心の中にとどめず、紙の上に吐き出しているから病んでるように見えて実は精神的に健康体」みたいなのがある。
お芝居で役者だったら「悪役ほどいい人」「自分の人格とかけ離れているほど演じやすい」仮説とか聞くけど、あんまり悪役専門の役者とかかわったことがないのでわからん。
年中無休でドロドロを垂れ流しにしている人の場合、書かないよりは書いた方が心の中が澱まなくて精神衛生によさそうだなあ…くらいのことは想像つくけど、どうなんだろうか。
文芸部にいて、少しは作品と人とを見比べたけど特にこれだという結論は出てない。
でも現代の作家論として、作品と作家の人格形成史を並べて語る人は多いし少なからず影響はあるのかも。
オチないっす
最近『男子高校生の日常』を一通り観ました。
よかったっす。