めふぁにっき

すべての独身が自由に楽しく生きられる世界のために

耐え難きかな常世の飢え

 

重いだけの自分語りの回。

じぶんかってなことを書き連ねる日記です。

上げちゃってすみません。読むのは止した方が賢明です。本当に。

思いついたら思いついただけ書いてきます。

 

普段あっけらかんと世の中につらみ苦しみなどございませんよというテイで文字を書いている癖が祟ってしまう。どうにも重い話、自分の話、どうしようもなくずっしりした話、そういうものが書けない。

だいたい自分につらいことがあっても「コンテンツ力〜平気平気!」とあっけらかんとしていないといけない空気が漂う世の中で、突き詰めたら昔々フラれたのがとてもつらいですなんて恥ずかしくて格好悪い話、書けるはずもない。

 

でもあえて書かないといけない気がした。

というか腹が減ってるし興奮して寝付けないし、これは書くしかない。

 

恥ずかしいからこっそり書くけれど、ブログなんてのは元来、こういうものかもしれない。

王様の耳はロバの耳と打ち明けられた木のウロのように、王侯貴族の前でならば何を言っても許された道化のように、いつの時代もなんでも言える場や人間が必要とされる。オンラインの時代とて例外ではないのだ。

書きたいだけ書かせてくれ木の穴よ。

 

とにかく空腹で仕方がないので、気を紛らわせようと夜中SNSを漁っていると、最近のSNSは本当に優秀で、知り合いかも?的なユーザーのレコメンドになぜかピンポイントで弟の彼女やら元カノの今彼やらレコメンドしてくる。

アルゴリズムによる学習なら、ある意味では正しい。その手の情報を見る時の人間の執念というのは凄まじく、間違いなくSNSまわりの通信のうち半分は恋煩いとメンヘラと色気違いだ。

なんにせよ先のレコメンドにより見事に私はめでたくメンヘラにカテゴライズされた。

 

もうここまで書いてメンヘラ成分より空腹の方が勝ってきてしまった。まだ1000字も書いていないが我ながら都合のいい性格をしている。

 

ともかくも嫉妬というかショックというか、分かってはいたけれど受け止めたくはない現実を割とはっきりしっかり示されるのは酷だ。

誰に殴られたわけでも一服盛られたわけでもないのに鳩尾からヘソの下あたりまで内臓系の強烈な衝撃が走り、思わず身体全体がビクッと反応してしまう。エクスタシーなんかではない。

これが私の身体に備わっている嫌悪感や恐怖感、不安感をひとまとめにしたような感覚だ。

 

この感覚の連続に自分は数年単位で身体全体を支配されていた。目の前にいない相手の一挙手一投足に怯えて、身体が反応し、強烈な嫌悪感とともに精神が悪化する感覚は独特のものだ。

 

私は自分が無意識に、今自分の身体がしている体験と、自分自身の人格とを切り離そうとしていることに気づいた。

 

どうということはない、別れた恋人には新しい恋人がいて、新しい愛情表現がそこにはあって、当人の脳裏には自分がそこにまだいたかもしれない可能性なんて微塵も残っていない。

書いてみると元も子もなくて面白みもない。

ただその情報が光の形をとっただけで目を介して入っただけで自分の身体が激しい不安感に襲われるなんて。

そんなに人間がヤワであっていいはずがない。

でも間違いなく自分がタフとは程遠い。

自分がこんなにもヤワな存在であることがこの上なく憎い。

 

18だったか19だったか。大学への入学、日本のエリートになるための道を綺麗に踏み外したその瞬間から、今までの自分をきれいさっぱり捨てて全く違う人間として生きることを内心決意していた。別にエリートになろうとしてきちんと努力したわけでもない中途半端な人間だ。

ただあいにくとそのほかの道を歩む普通の人がなんで生きてるのかよく知らなかった。正直今もわからない。

ただ当面自分が生きていくために本当になんでもいいから物語を必要とした。ぶっちゃけカルトでもなんでもよかった。今思えば嘘でもいいから学問の1つや2つまともに収めていればよかったと思う。真人間として生きるというのは決して楽ではないが、それはそれで1つの物語なのだ。

 

もろもろ端折ると、結局私が選んだのはカルトではなく恋愛だった。何かと世の中じゃ恋愛を賛美するが、自分の場合は恋愛というより、他に何か別の物を置いておくべき「生きる意味」みたいなところに、聖なるものとして恋人を縛り上げて崇め奉っていた。

自由気ままに生きたいネコを簀巻きにして、床の間にぶら下げて日に3度拝んでいるようなグロテスクさで、とても常人には耐えられるものではない。

 

相手も相手で問題がなかったとは言わない、今も内心恨んではいる。なにしろ数ヶ月きれいさっぱり無視した後に何事もなかったように連絡を取ってきたりするような人間だ。こっちもこっちで随分とひどいことも言ったものだがお互い様である。

そんな異常な人間が結んでいる異常な関係だから、色々学ぶところもあった。こちら側からの崇拝というスタンスがなければ普通そこまで長くは続かない。

単身赴任で童貞の夫が女子大生だらけの場所で浮気もせず女遊びもせず、ただ返事のくるあてもない連絡先に日々連絡をし続ける日々を送っているようなものといえば気持ち悪さが伝わるだろうか。携帯の通知が鳴れば、別れの連絡か、はたまた何事もなかったかのように優しい言葉が返ってくるのか。その期待で胸が高鳴り腹の底が熱くなり吐き気がしてくる。

もはやストーカーかDVされてる妻か個人宗教の類である。

 

私はこんなことで大学生活をすっかりすり潰してしまった。ブ男が迂闊に恋愛などするものではない。

 

デメリットばかりのように見えるが、反対にメリットもあった。

不真面目が祟って到底卒業の見込みもなかったが、なんだかわからんが女のためなら早く卒業して稼がねばと必死こいて卒業してしまった。

この辺の童貞特有の必死さ加減が元カノにはどうにも受け入れがたく気持ち悪かったらしい。

なんとも救いのない話である。

 

おかげで父親からは「お前がなぜ留年せず大学を卒業できたか理解できない」といわれ

兄弟からは「恋人の1つや2つも作らず、大学でお兄ちゃんは何をしてきたのか」と言われる始末である。

 

実態としては存在するかしないか怪しいラインの個人崇拝の結果、生活はガタガタになったが大学は卒業できたというよくわからない話だ。

 

結局、卒業間際で別れることになったのだが、そもそも何回目かの長期無視の後だったので不思議とショックはなかった。

心の準備として半年ほど前から運動に打ち込むようになったし、そもそもその前は就活でそれどころではなかった。

 

ただ、男の恋愛というのは常にそうだが、離脱症状がとにかく大変だったのである。

まず、自分がされたことを受け入れるのにショックが大きすぎて、「そもそもあんな目に遭ったかわいそうな男は私ではない。」ということにしてしまった。おかげで今でも人にこの話をする時は一通り話した後で、「ひどい話だな!」と自分で話している話に驚くことが多い。

 

自分が崇拝していたものがぽっかりいなくなってしまったので、別のものを崇拝するのにも時間がかかった。

 

他には、異性と接触する時に、決してどんな音楽も、香りも、景色も、情景もエピソードもトリガーになってその異性を思い出すことがないように努めるようになってしまった。

男性に捨てられまくった女性が時折「私恋愛に本気になれないの」なんて言うが分からんではない。心をすべて預ければ傷つくのは自分である。彼女らなりの自己防衛なのだろう。

 

さすがに書きたいことを書きたいだけ書いてたら眠くなった。

ここまで読んでくれたら、拙い話なのに本当にありがとう。

どこまでも自分勝手なので私は寝ます。