紀伊國屋がなかったら死んでいた
めふぁにっきです。
10代の頃、秋口になると気分が憂鬱になって、学校を休んだり、不安で眠れない夜が続くことがよくあった。父親とは仲が良かったので、父親に相談してはいたが、彼のアドバイスは自分にはあまり参考にはならなかった。
といってまったく話にならないわけではなく、
「きっとそれは季節性の抑鬱状態だ。」
「俺も10代の頃はよく悩んでいた。」
などと割と物分りの良い父親だった。父親の職業は教師で、10代が精神的に不安定な年齢であることを理解もしていたし、慣れてもいた。
ただ、彼のアドバイスは基本的に「かつて自分がどうやって乗り越えたか」に根拠があるので、人によって、というより普通の人間にはまったく参考にならないのである。
父親は、10代の頃から現在にいたるまで極度の語学オタクであり、本の虫でもある。
これが、彼がどうやって10代の精神的に不安定な状態を乗り越えたかということの答えでもある。友人の少ない10代を過ごしたという父親の友人は、常に本の中にいた。
彼が言うには、数百年以上前に生きた頭のいい人間と本を通して対話することができる。関西の都会で育った彼は、よく紀伊國屋書店に古代の偉人と対話しにいっていた。
「紀伊國屋がなかったら俺は自殺していたかもしれない。」とまで言っていた。
それゆえに彼は主観的にはまったく孤独ではなかった。
紀伊國屋が父親の命の親なら、自分は間接的に紀伊國屋に命を救われていることになる。ありがとう紀伊國屋。
そして彼はとにかく語学にハマった。兼好法師が好きで、古語を学んだ。唐の漢詩を読むため、漢文の読み方を覚えた。高校生にしてラテン語の辞書を嬉々としてめくった。
彼にとって語学は手段に過ぎなかった。
誰かに会いにいくとき、飛行機や、新幹線に乗っていくように、彼が古代や外国語の書物の中にいる人に会いに行くときは、彼が生きていた頃に話し、書いていた言語をしっかり学んで会いにいったのだ。
さて、思春期の私にとって父親のアドバイスの何が参考にならなかったのか。
全部だ。
第一に語学の才覚がありすぎる。ギフテッドだと言ってもいい。
語学の才能がある人の中には、猛烈な孤独と引き換えにその才能を手にしている人がいるのは知っている。だが、ベースとしてある種の才覚が必要になるのも事実だ。そのような才能が多少は遺伝するにしても稀有すぎる。
第二に、田舎に生まれ育った私にとっては、都会との文化資本の格差はあまりに大きすぎた。実家から最寄りの丸善まで行くのに2時間はかかる。いまやAmazonがどんな僻地へも書物を届けてくれる時代になったが、やはり古典と呼ばれるような書物がすぐに手に取って読める場所が近くにあるというのはいまだに偉大なことである。まさに「紀伊國屋がなかったら自殺していた」という状況は田舎にこそあったのである。
ただ1つ、参考になったことがあるとすれば、
「生者であれ死者であれ、誰かに出会い、もっと知りたいと思う世界の広がりを感じること」が孤独の特効薬であると知ったことかもしれない。
結局、私が孤独に苛まれて死なずに済んだ理由は、インターネットだった。インターネットを通していろいろな人と交流した。
田舎の外には広い世界がある。そこにはいろいろな人がいる。
まだ人生に絶望するには早い。
そういう場所に行って、いろいろいは人と話してみるまではまだ生きてみてもいいんじゃないか。
そういうポジティブな考えを抱くのに、インターネットを通じて人と交流するのは十分な効果があった。
若者は孤独に直面してよく不安に苛まれる。社会的に曖昧な立場だからかもしれない。
ホルモンバランスみたいな生理的な問題もあるかもしれない。
私は何者で、社会的に確固たる立場があって、だから自分は生きる価値がある。
自信をもってそう言い切れるなにかを若さ以外に何も持っていない。
そういう時に若者の救いになるのは、人間全体や自分の人生に絶望しないで済む世界だ。まだまだ人生捨てたもんじゃないと思わせる環境が世界のどこかにあるという希望こそが、若者の命を繋ぎ止めるのだ。
インターネットは出会わなかったはずのトラブルを持ち込みもするが、一方で、今も日本のどこか閉鎖的な環境を生きている若者に、世界の広がりを見せるにはとてもよいツールなのではないかと今は思う。
紀伊國屋がなかったら親父は死んでいた。
インターネットがなければ自分も死んでいた。
▲命の親