ラーメン食べないと記事が書けない
めふぁにっきです。
ブログに書くネタがないのでなぜだろうと頭をひねっていたがやっとわかった。
飯の画像がないからだ。
そんなわけでブログネタのためにラーメンを食べてきた。
記事の最後に飯テロを挟むことの効果について、よく記事を読んでくれている友人が説明してくれた。
『ピークエンドの法則』によれば、人間が過去の経験について振り返る時、体験の感情的なピークと、それがどう終わったかで判断されるらしい。
なるほど、自分の話だと、お酒飲むのは嫌いではないが、酒に関する記憶はなんというか…吐き気と寒いトイレの印象が強い…。つまり「どう終わったか」が印象付けられてしまっているわけだ。一次会で帰ろう。
友人曰く、記事を読んでなるほどと思ったことも、感じたこともすべて最後の最後には飯テロで「あーうまそうなラーメン」に体験の評価が集約されてしまうそうな。
ほんまかいな
ご大層なこと書いた時は特になんか気恥ずかしいので飯テロ画像挟んでるだけなんだが。
知らず知らずのうちにピークエンドの法則に沿ったコンテンツ構成をしていたとは。
ピークエンドの法則が重要になるのは、ライブとか、落語とか、ピロートークとか別れ際とか、オチが綺麗につくのが美しいとされる世界である。
映画のネタバレが良くないとされるのは、せっかくエンドをバラされたら、作品の体験の価値を根底から変容してしまうからだ。
制作側がピーク・エンドの法則を考慮してコンテンツを作ってくれてるのに、エンドをバラされたら、最初から「そっかーめっちゃいいこと言ってるけどお前黒幕なんだよなー」とか「でもこの後こいつ自殺しちゃうもんなー」とか考えてたら鑑賞に大きく影響が出てしまう。
▲ネタバレ
そう考えればなるほど、めふぁにっきの飯テロはピロートークなのか。
しかも飯テロはネタバレの要素もない。
少なくとも今のところまだ飯テロでネタバレされたというクレームは来てない。
「まさかあの店のチャーシューがあんなに分厚いなんて…!まだ食べてないのに楽しみにしてたのに貴様許さない…!貴様…!」
▲ネタバレ:あごだしのラーメンでした。