飲み会が嫌いだった話
めふぁにっきです。
大学時代の話。
飲み会が楽しくない。
人といるのも楽しくない。
俺は情報を常に吐き出していないと気持ちが悪いタイプの人間だ。
逆に言うと感覚が過敏なのかもしれないが、ほうっておくとあらゆる情報を常に飲み込んでしまう。人が横にいれば人の情報を過剰に受け取ってしまう。環境は自分に向かって常に情報を与えてくる。
喫茶店が苦手だ。
別にその気もないのに周りの人間の情報を収集してしまう。
最近はぼーっとしていることが増えたのでその機会は減ったが。
本質的に人が好きではないので、周りの人間を深く知れば知るほど呆れてイライラしてしまう。
誰かと飲んでいても、隣のテーブルの人間にイラついてしまう。
どうしてこんなに自分には協調性がないのか呆れるほどに、俺は他人を受け入れられない。
今考えれば、普通の人は少し離れたところの人間の情報をシャットアウトできるのだ。
情報が入ってこないからそもそも好きか嫌いかの次元を超えて無関心を貫ける。
それができない体質に生まれたことが俺にとっては呪いだった。
日夜人の多いところで過ごすほどに情報が頭に蓄積し続ける。
今では個室の飲食店や、人気の少ないところで過ごす習慣が身についたから少しは楽になったが、大学の頃はなんだかんだキャンパスに行かなくてはいけなかったから苦痛だった。
知らない人がたくさんいる。
大学くらい人間がたくさんいると、情報が多すぎて気持ちが悪くなる。
情報と言っても大半ゴミみたいなものだ。
猿がたくさんいる檻に閉じ込められて、無数の個体が発する鳴き声を聞いても、そこに情報が豊富にあるとは思わない。単にかしましいだけだ。
こんな具合だから常に頭の中はパンパンだった。
どうやって情報を吐き出すか、これが一番重要な課題だ。
夜中に片っ端から人と通話して情報を吐き出し続ける。
大学時代、どうしてそんなにサークルや、部活や大学周りの人の情報を持っているんだと聞かれた。
むしろお前らはどうしてそんなに他人の情報をもっていないのか教えてほしいくらいだった。
この体質に生まれると、他人の情報はふえるワカメみたいに増えるのだ。
常に情報過多の状態にある俺の脳は、情報を吐き出す先を求める。
当時、特に文章というアウトプットもなかった俺は、ひたすら情報のアウトプット先として他人を求めた。矛盾するようだが、情報を吐き出すために、情報の発生源である人間に近づいていた。
四六時中いろいろな場所にいって、いろいろな人に会ってアウトプットをすると、結果的に会う前よりも情報は増える。
それはいろいろな人に会うからで、様々な場所からあらゆる情報が集まってくる。
そうしてさらに情報過多になって気持ち悪くなるので、さらに情報を吐き出す。
この繰り返しで大学時代の俺は無闇矢鱈にふえるワカメみたいな情報の山と格闘していた。
▲アップルのパイ
最近は余計な考えを捨てるために文章を書いたり、身体を動かしたりすることでパンパンだった頭はすっきりしつつある。むしろすっきりしすぎたかもしれない。
▲フィッシュとチップス
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