めふぁにっき

すべての独身が自由に楽しく生きられる世界のために

無へ還る汚部屋


エントロピーは増大する。

宇宙のどんなものであれ、悠久の時の流れの中で、この法則から逃れられるものはなにもない。
覆水は盆に返らず、溢れたミルクも落ちたハンプティ・ダンプティもどうすることもできない。

一箇所にまとまったものは散らばり、複雑性を増して、もとに戻ることはない。
クリープをコーヒーに垂らせば、もこもこと雲のように広がっていくが、ひとりでにクリープとコーヒーにもどることはない。
これを「不可逆性」と言い、散らばりの増大が時間を遡れないものにしている。
何もかもが散らばっていく宇宙の中で、生命と名付けられた事象だけは、この不可逆性に逆らって生きている。
細胞で壁を作り、中と外で絶えず代謝を繰り返し、生命内部の状態を保ち続けている。
ある意味では、生命とはエントロピーに抗い続けるものであり、別の見方をすれば、流れの中の「澱み」が自我をもったものとも言える。

 

一瞬でも気を抜けば、生命の内部は、その外側に広がったエントロピーの増大の嵐に巻き込まれ、無限に発散してしまう。


すなわち、「儚くなる」。

形を保てなくなり、複雑性を増して行く自然の中に溶け込んでいってしまうのだ。
大河のように流れていく諸行無常の中で、人と人の住処とは、あぶくのように自我を形成し、やがて弾けて澱み、もとへ戻っていく。

 

 

こんな話を弟にこんこんと説いた。

「つまるところ、その伝でいけば、俺たちが住んでいる『部屋』というのは、ある種の疑似生命だと?」
「理解が早いね。そういうことだ。部屋、家、都市…人間が定住するようになってから、人間は環境を作り変え、自分が住む場所の恒常性を保つ機構を構築してきたってわけ。」
「この部屋コバエが無限に湧いてきて嫌なんだけど。」
「都市だってそうだ、上下水道が機能しなくなるだけで、どんな摩天楼だってふんづまりで機能しなくなる。文明とは、疑似生命を機能させ続ける営みのことなのだ。」
「うちの姉ちゃんゴミ捨てないし、文明人としての営みを放棄してるんだけど。」
「お前は姉ちゃんに期待しすぎなんだ。そのへんの野良猫と同じと思え、野良猫はゴミ捨てたりしないだろ、ねこちゃんと一緒だと思え。」
「兄貴」
口数の少ない弟が一拍置く。


「ねこちゃんと人間の最大の違いは何か知っているか。」
「おいやめろ。」
「ねこちゃんはかわいいんだ。人間はかわいくない。だから許されない。」

弟はそう言って部屋の片付けを続行した。

来週には「ハエの人」(ハエ取り業者のことらしい)を呼ぶんだと息巻いている。

 

ふと顔を上げると、連日の宅配に依存した食生活が祟って、部屋に紙容器が散乱していた。

エントロピーが増大している。
体長約2m、体重60kg前後の類人猿が毎日食物を貪り、毛を落とし呼吸をするせいだ。
水道が整備され、端末で通信ができるようになっても、家屋のメンテナンスというのは相変わらず人間の仕事だ。
奴隷や小間使がいなくなった分、どれだけ家電が発達してもゴミを拾い集めるタスクは誰も代行してくれない。

袋を取り出して、最低限の文明人の営みに勤しむため、重い腰をあげた。