泣けない男
あまり泣けない。
泣かないのとは違う、なんというか泣けないのだ。
数少ない例外を除いては、ほとんど泣こうという気にならない。
自分が泣けないものだから、他人が泣くのが不思議で仕方がない。
女が泣くのはまだわかる。古くさい感覚なのは重々承知だが、女は泣くものと心のどこかで納得している。
困るのは目の前で男に泣かれた時だ。
どんな気持ちで泣いているのか分からないので、どう対処したらいいかわからずに戸惑ってしまう。
戸惑った挙句、大抵は「ほう、泣いたか…」というようなテンションで相手をまじまじと見つめることになる。本当にどうしていいかわからないのだ。
こんな仕草を繰り返しているので、何度かドン引きされたこともある。
俺は沈黙が苦手だ。
人と居る時はその沈黙を塗りつぶすように喋り倒すくせがついてしまった。
相手に泣かれると、沈黙に嗚咽が入り混じる。そんな時間が1分、5分と過ぎる。
もう耐えられない。
失恋した友人に目の前で泣かれた時、ぼそっと「お前は泣けていいなぁ…」と呟いてしまったことがある。
なんかものすごくサイコ扱いされた。
件の友人は、人情味溢れるいいやつで、後輩からの人望も厚かった。
サークルの追い出しコンパでも、たくさんの後輩に囲まれて、花束を持って泣いていた。
同じ会で俺は、ただ壇上に上がって淡々と挨拶をして降りただけだった。(花束は貰った)
その時のことを振り返って、友人は「お前はあの時も泣かなかったな、本当に泣かないんだな、すごいな」と感嘆していた。
泣かないんじゃない、泣けないんである。
子供の頃から泣かなかったわけじゃない、むしろよく泣いていた。5歳くらいの時、保育所にいたロシア人の女の子と毎日取っ組み合いの喧嘩をして、毎回負けて泣かされていた。
17を過ぎた頃からだろうか、不思議と泣けなくなってしまった。
先に例外があると書いたが、泣けるシチュエーションというのはある。
いわゆる忠義・報国物は泣けるのだ。
『グスコーブドリの伝記』とかあのへんは普通に泣ける。込み上げてくる。
自分でも止められない。
これが「泣く」か!と1人で納得して感激してしまう。
我ながら気持ちが悪いのはそれ以外ではまったく涙腺が反応しない。
『秒速5センチメートル』が泣けると聞いて観たのだが、絵が綺麗だなーと思っている間に映画が終わってしまった。
少し不安になって、父親に相談してみたことがある。
何言ってんだ、男は泣かないもんだ。
そう返ってきた。
大学の教員で、若者と普段から触れ合っているだけあって、妙に物分かりがいい親父だが、本人の人格の真ん中には一本太い昭和の男観が通っている。
20代の頃でも例外的に泣くことはあったが、それは三徹して訳がわからなくなった時だけらしい。
ついでに親父が別の話をしてくれた。
毎年卒業シーズンになると、ゼミ全員でお別れ会をするそうである。この時に、順番で全員別れの挨拶をするそうだが、例年女子が挨拶の最中で泣き始めてしまい、スケジュールが1時間は遅れていた。1人泣き始めると次の子も泣く、と言った具合に連鎖してしまうそうだ。
ところが、少し変わった工夫を始めたら、その年から泣く学生がほぼいなくなったそうである。
1人10分の持ち時間を決め、5分ごとに呼び鈴をチンチン鳴らすようにした。
泣いていても呼び鈴を鳴らされていては興醒めである。途端に学生は泣かなくなり、連鎖することも無くなった。
「結局演出とかその場の雰囲気で泣いてるだけなんだよな。雰囲気を変えてやれば泣かなくなるってことさ。」
そんなことをさらっと親父は言い放った。
うわぁ、とだけ返しておいた。
なんかものすごくサイコ扱いしたくなった。