めふぁにっき

すべての独身が自由に楽しく生きられる世界のために

平成に花開く、男やもめの独り寝文化

 

めふぁにっきです。

 

オナニーの話しかしません。

 

TENGA×スクー

『オトナの性的義務教育』

https://twitter.com/nishino_fumi/status/1053275658187505664

 

なんか帰宅してTwitter開いたら

TENGA社さんが「オナニーはなぜうしろめたいのか」というめちゃくちゃおもしろそうなタイトルで東大の赤川学先生と講座を開いていたので夢中で見てしまいました。

 

高校3年生の時にテレビ東京の「ジョージ・ポットマンの平成史」という、BBCのドキュメンタリー風でおふざけ半分、真面目半分で日本のサブカルチャー史を紹介する番組を見てたので、こういうタイトルにはめっぽう弱いのです。

ジョージ・ポットマンの平成史 - Wikipedia

 

 

そもそもオナニーオナニーっていうけれど、

「オナニー」って言葉自体、語源が罪のニュアンスを含むもので、

昔々、ユダヤ人のオナンくんが、

「兄貴が子をなさずに死んだら、弟が兄嫁と交わって兄の子を遺すべし」

という習慣(レビレート婚というらしい)に従って

未亡人となった兄嫁といたしていたところ、

(これ、兄嫁孕ませても俺の子にはならないとかもったいなくね…?!)

という謎の省エネ思考を発揮していわゆるソトダシをしたところ、

「快楽のみのために性行為をするべからず」という神の怒りに触れて死んだ。

…みたいな話が語源らしく、もともと宗教的タブーを含む言葉とのこと。

 そんなわけでキリスト教国ではタブーの一つでもあり、日本も西洋化の流れの中で

「青少年の教育にオナニーは害悪である!!!」という風潮になり、

当時の知識人も日記の中で、少年期に自慰を覚えてしまい、

「最低だ、俺って…」と罪悪感を覚えたとか。

とにかく現代日本人の自慰行為に対する意識は複雑怪奇なのだ。

 

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▲突然の麻婆豆腐

 

今回の講座でおもしろいとおもったのは、

現代社会では、オナニーは自分が何者かを規定する行為になりつつある」

という話。

 

80年代前後は、(特に男性にとって)オナニーは「セックスの代償行為」であり、

「オナニーをしている」こと自体が「相手が居らず独り寝」をしていることの裏返しという意識が強かった。

だからそもそも男性がオナニーをしているという表明自体が、

「異性を獲得できない劣ったオスである」というメタメッセージになった。

 

平成の御代も終わりに近づくと、ネットに性情報は溢れてるし、

一昔前ならとても「普通じゃない」性癖をもっていても、

デジタル世界からオカズを手に入れて、

夜な夜な繰り返し自分のセクシャリティを確認する時間になった。

 

それまでの世界では、セクシャリティは社会の共有概念で、

自分を規定するものではなかったし、

そういう意味で誰もが本当の意味で自分の身体を自分で「所有」することはなかった。

 

世間の中で結婚し、契り、子を生み育む役割としての男女から

若者が解放されるほどに、

他者とのコミュニケーションとしてのセックスと 

セックスの「代償」「補助」「練習」行為だったオナニーが切り離され、

「そっか!俺はロリ巨乳が好きなんやな!」と自覚する時間が増えた…。

ほんまかいな。 

 

 上の世代(80年代生以上)と話していて、時々違和感を感じるのは、

あくまでもオナニーは「本番」に対する補助的かつ緊急的措置であって

 重要なのは生身の人間と交わることなんだ…!

みたいな考えが透けて見える気がするときで、

でも逆に考えたら、

良くも悪くも「セックス」と「オナニー」を切り分ける若い世代って

極端に突き詰めたら

「えっこれは性行為じゃなくてオナニーだよ?ただ生身の人間を介在させているだけ」

みたいな話になるかもしれなくて、それは上の世代からすると違う発想なんだろうなあ

とか少し思いました。

 

文学の世界の中ではもう数十年前にそういう未来に到達してしまっている人がいます。

「おまいら、本番の準備としてオナニーしてるとか言ってるけどな、考えてみ」

「生身相手にしてやってる回数とオナニーしてる回数、普通どっちが多い??」

「そう考えたら俺らは『オカズにするために』セックスしてるんや、違うか?」

 

 

間違いなく、デジタル世界から簡単に(自分の性癖に適合した)オカズを手に入れて、

ドラッグストアの衛生用品売場に置いてあるセルフプレジャーグッズを買って、

プライバシーの確保された個室で鍵かけて、ヘッドホンしてオナニーできる世界の住民は、もはや20年前に青春を過ごした人たちとはもはや違う次元に生きてますわ。

 

身体は数百年前から変わっていないけれど、技術レベルが全然違う。

技術レベルが違うのは結構致命的なことで、

メガネがなければ俺は視覚障害だったし、

xvideosがなければ俺はもっと性に苦しんでいただろう。

 

中学生の時、保健体育の先生が

「俺らが中学生の時はな、夜中にエロ本の自販機にこっそり買いにいくんだよ、そしたらな、エロ本がすげえデカイ音立てて落ちてチビりそうだったわw」

なんて話してくれたのもにわかには信じられないくらい時代は変わってしまった。

 

酒場で

「なんかもう最近全然ナンパされないんだよね、歳なのかな。昔はめっちゃ声かけられてたんだけどね。」

ってクダ巻いてる

綺麗なアラフォーのお姉さんもいれば、

 

ふとカフェで隣を見たら、

やたら携帯のロック画面にTinderからの通知が来まくってる人妻風のお姉さんもいるわけで、現代って意味不明の時代だなと思うわけです。

 

TENGAさんのYouTubeに過去企画の動画上がってるみたいなので見てみてください。では〜。

 

 

末代の生き様

 

めふぁにっきです。

 

渋谷でダチ氏とお茶していたら、

「たまには日本語を読みたいと思って貴様のブログを読んでいるのに、最近の貴様はたるんでおるぞ。」と喝を入れられました。すみましぇん。

 

お茶したときの話をまとめます。

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▲うまうまネパール水餃子

 

今ほど俺らの世代は〇〇だよね。という一言で表現できない時代もないと思うんです。

「今ほど」というのは90年生以降、世間的にはゆとりと呼ばれる世代以降の話ですが。

そもそも隣にいる同世代のヤツがどういう音楽を聴いて、どういうメディアを観て、休日はどう過ごしているかがわからないのが当たり前で、せいぜい服装でなんとなく「人種」はわかるけど…それ以上わからない。それに慣れっこです。

 

だから突然「俺らは音楽でいうとアムラーの世代なんだけど、君らはどういう世代だい?」と聞かれても、「んとー、俺はこういう人間なんだけど、でも友達は別のものを聴いてるし、でも世の中にはバンギャってのもいて…」みたいな答え方にしかなりません。

 

メインカルチャーとかサブカルチャーって区分は、メインのカルチャーが大きなアリーナでめっちゃ人だかりができている反対側のサブアリーナで細々と固定客相手に商売してる…みたいなイメージがあるんです。

でも、少なくとも私から見た「同世代」というのはカラオケの個室みたいなもので、なんとなく曇りガラス越しに女子が多いなとか、合コンだろうな、サラリーマンだろうなというのはうっすらわかるし、中から聞こえてくる歌でどういう人達か漠然とわからないではないけど、それ以上には何もわからない。そんな感じがするんです。

 

個人的な感覚でいうと、初対面の人の趣味は特に相手が話題にしてこない限りは実家の葬式仏教の種類並に触れない話題です。

 

そういえばお互いに趣味をオープンにして会話するシーンってどういう場合だっけ?みたいな話題になったんですが、考えつくのは「合コン」とか「付き合って最初に彼氏の家に行った時」みたいなシーンくらいで、よほどオープンにする理由がない限りオープンにしないなぁ…と思ったんですが、どうなんですかね。

 

現代の恋愛や結婚は家同士ではなく、個人同士で行われるので、「どっちの宗派で葬式する?」とかいう話よりもお互いの趣味をどう認めるかみたいな話がより重要になってくると思うんです。一個人の趣味とはいえ、個人主義の現代ではもはや宗教みたいなもんです。

 

信仰を捨てるか、パートナーを取るか

趣味を捨てるか、パートナーを取るか

 

嫁さんが追っかけやってるのを認めるかとか、旦那が部屋にフィギュア集めてるのを認めるかとか、ここんところがうまくいかないと、ある日どちらかが「子供じゃないんだから!」とか言って趣味のもの全部無断で捨てちゃったら離婚どころか傷害事件になってもおかしくないです。

 

オタク同士のカップルがある程度趣味を尊重しあえるのは、なんというか多神教的というか「私はガネーシャ推し。あなたはシヴァ推し。違う神様拝んでてもお互いの神様は尊重するの。」的な感覚に近いんじゃないかと半分思ってます。

 

自分を自分で肯定できるために、自分が自分でいられるために何を軸に考えているかによるんですが、「家庭を築いている自分」が軸の人は恋愛をする段階から案外あっさり捨ててしまえて、 「趣味を生きている自分」が軸の人は「なんでたかだか人間のために生きる意味を捨てないといかんのだ??そりゃオマエを捨てるに決まってるだろ」という反応になると思うんです。

志賀直哉の小説「清兵衛と瓢箪」の中で、幼い清兵衛という少年は、瓢箪(ヒョウタン)に異常な執着を見せ、しかも非常に高価な瓢箪を選び出す才覚まで備わっているのですが、まったく理解のない父親は清兵衛を叱りつけ、彼の持っている瓢箪を片っ端から叩き割って、彼の趣味を無理矢理やめさせてしまいます。

 

恋愛をすることが軸になっている人は、相手に付き従い尽くすことを心に決めてしまえば、瓢箪くらい簡単に叩き割りますし格好も簡単に変えます。時にそういう人は「パートナーが年甲斐もなく瓢箪なんかに異常な固執をしている」と相手の瓢箪を叩き割りもします。

個人のたわいもない個性は叩き潰してでもパートナーを作らせる方が社会の維持には便利なんでしょうが、現代社会にもはや普遍となる規範は存在せず、個々人は自分の価値を後生大事に抱えています。

 

もうすでにそういう時代になっているのかもしれませんが、あと一世代経ると、恋愛や結婚に異常な執着をする文化が主流になるのかもしれません。自分の瓢箪を守り抜く側の人間がこのまま末代になるとしたら、自然淘汰的に次の世代に生き残るのは「どれだけ魅力的な娯楽が世に溢れていても恋愛と結婚に執着する」個体の子孫の確率が高いです。

娯楽が時代を追うごとにますます魅力的になっていき、それでも変わらず繁殖に勤しむ個体が生き残ります。

 

 

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▲うまうま小籠包

 

メンヘラやビッチちゃんと話していると、たまに異常なくらい結婚に執着している子を見かけます。どうして今まで種が保存されていたのか不思議なくらい歪な精神構造の持ち主であればあるほど、ああ、なるほど、この執念が今まで代々命を繋いできたんだね、頑張っているねと妙に感心してしまいます。

きっとこの子はどこかで遊び尽くしてきちんと相手をとっ捕まえて、「あがり」になって、子孫を残していくんだろうなあと考えて、なぜか脳裏に綿毛を飛ばしまくるタンポポが浮かんできます。

 

ひょっとするとこの少子高齢化社会は末代にとっては最後の栄華になるかもしれないのです。人口と文明レベルを維持できずに滅ぶか、繁殖力の高い個体で社会が溢れるか、どちらにせよ末代に先はありません。

なくてもいいのです。だって末代だから。

 

吐くと飲むとは裏表1008

 

めふぁにっきです。

ひさびさの更新です。

 

社畜の闇に呑まれつつ、ひたすら本を読んだり映画を観たりしてました。

生存報告も兼ねて更新更新。

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▲生きることは食うことと見つけたり

 

7月8月はなんかひたすらあちこちに文章を書きまくっていたら

9月上旬くらいになって

「あ、やべ、インプット足りねえ」

という感覚に襲われたのでやたらと本を買っては読んでました。

別に何が足りないわけじゃないんですが、人と話したり物を書いたりしていると、書いている話題について自分が何も知らないことに気づいてしまいます。

 

くだらない話を友達としている最中に

「つまり2010年代後半の日本におけるギャルというのは~」

したり顔で言いかけて、(あ、やべえ、俺ギャルの歴史何も知らねえな)と気づいてしまいます。どうしてギャルと付き合える人生を歩んで来なかったんだろう俺は。

 

先輩いわく、

アウトプットしてて、「インプットが足らねえなあ」と思ったら本でも読めばいいし、

インプットしてて、書きたいことが溜まってくれば書けばいい。

 

テキトーだけれど、なんだかそういうことらしいのでとりあえずAmazon様に泣きつきます。

 

Amazon様は全智全能。

なんでもお見通しなので

「キミが読みたそうな本はこれだね~?」

とにこやかにレコメンドを出してきます。ありがとうアルゴリズムよ。

 

迷える人の子を見守り給え。 

終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)

終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)

 

 

 2018年の時点に生きる私からすると、80年代から90年代に若者だった人は当時何考えていたのかなという興味が強くあります。

同じ事象であったとしても、その時代の空気感の中でしかできない解釈があって、その時だからこそ下された判断があって、そんなことがいくつも重なりあって一つの時代ができているというのがどうにも私には不思議でなりません。

 

ネットもねえ、深夜コンビニもねえ、ジュリアナ東京もまだできてねえ

 

1985年にセブンイレブン

「深夜に!コンビニで!いなりずしが食べられるよ!」

というCMを流せば年寄が

「いなりずしってのはなあ!朝から!かーちゃんがせっせと酢飯つくってやっと食えるもんなんだよ!」

と苦言を呈する。

 

今から考えるとギャグみたいな時代に、いったい何を考えて生きていたの??

というのが知りたくてしかたないです。

 

なんといったってXVIDEOSがなかったんだぞ??

XVIDEOのない時代なんてそこらじゅう欲求不満の野郎で充満してるとしか思えない。

 

この時代の本を読むと、

「上の世代は学生運動だ、過激左翼がテロ起こすわ、俺らのことは新人類とか呼んでくるし嫌ねえ」

みたいなことが書いてあったりするし、自分以外の世代が何考えているかわからないってのはあんまり変わらないみたいですな。

 

たぶん2018年に生きる若者も、10年も経てば

「おとーさんの世代ってTinderってよくわかんないアプリで恋愛してたんでしょ?」

「ママはそうだな」

「えっ…二人はどこで知り合ったの」

Twitter

「そっかあ…おじいちゃんは」

「合コン」

「そっかあ…」

ってなるのかな。

 

いつの時代も末代は老いて死にゆくのみだから

そもそも結婚もせず、子供も作らないのが当たり前の世代が

10年経とうがこんな会話が成立するとは限らないんですが。

 

めぞん一刻 (1) (ビッグコミックス)

めぞん一刻 (1) (ビッグコミックス)

 

 

 

 

一億総かまってちゃん時代

 

めふぁにっきです。

 

私にはかなり筆まめな大叔母上がおりまして、めふぁ家には四季折々に美味しいクッキーのたくさん入った菓子箱と、崩し字で書いたお手紙が届きます。

そういうものを受け取るたびに、クリスマス、イースター、残暑、秋分の日などなど、季節を改めて思い出すいいきっかけをもらっていました。

 

私めふぁはまったく筆まめとは正反対の性格で、毎年年賀状の返事をサボっていたら、いつのまにか業者以外から年賀状が届かなくなっていました。

 

いまだに手紙もメールも苦手な性質です。

 

19になるまで携帯を持たず、メールは週に一度ほどYahooメールを確認するというスタイルを貫いていた私は、ついに大学に入ってiPhoneを手にします。

 

そこからは毎日毎日通知の嵐でした。

アプリ、LINE、FacebookTwitterTwitterTwitter

朝から晩までところかまわず携帯はピロリンピロリン通知を垂れ流します。

 

さすがにTwitterの通知は切るようになりましたが、

私は今でもLINEの通知が「ピロリン♪」と鳴ると、ほとんど条件反射で

「ハァイッッ!!!!!!!!」

と元気な声でお返事してしまいます。

 

それくらい当時は携帯の通知とTwitterに毒されていました。

 

携帯が鳴るたびに身体を起こして腕を伸ばして返信をします。

何人か同時に返信し続けていて、気づいたら肩がガチガチに凝るほどアクロバティックな姿勢を続けていたこともありました。

 

PCと携帯の画面には常にタイムラインが流れ、朝から晩までリプライをし続けます。

 

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▲神戸かどこかで飲んだよく分からんうまうまアイスコーヒー、新大阪だったかもしれん…

 

そんなことを繰り返していたら、

ある日従姉妹(ロリ、かわいい)に

「おにいちゃん、そんなことをするためにPC買ったの??」

と唐突に言われました。

 

本当はこの時点でこのロリ菩薩の言う通り、

通知づけの人生にさよならバイバイすればよかったんですが、

めふぁは身体こそその場にあれど心ここにあらず、

眼の前のロリ菩薩の言うことなど頭に入っておりません。

 

頭の中は常にその場に居もしない年頃の女の子やメンヘラやホモのことで頭がいっぱいでした。

 

私はペンを握って紙に書くお手紙が苦手なだけで、筆まめの気質は確実に受け継いでいました。誰かからきた連絡には30秒以内で必ず返していました。

 

そうじゃないと、きっと自分は相手に嫌われる。

 

 

そんな恐怖に取り憑かれて

常に連絡がすばやく返せる便利な人間になることに必死でした。

 

今ならよくわかるんですが、チャットの応酬で得られる情報量なんて短時間で繰り返せば繰り返すほど薄まっていくものなのです。

特に用事がなければ、チャットなんて送らないに越したことはないのです。

 

通知に取り憑かれためふぁに追い打ちをかけるように、ある時期からストーカーがつきました。

 

あらゆるSNSのメッセを経由して、1時間に70くらいのメッセージを飛ばしてくるタイプのストーカーでした。

この時期から、私は使うSNSの数を減らし、Twitterのアカウントも2~3度変えました。

 

これがかえって徐々に通知地獄から抜け出すきっかけとなりました。

 

 

人間の脳の容量は、無限なようでいて無限ではありません。

一日の中で意識をしっかり向けていられる事象は、時間と意志の力の総量に制約されているのです。

 

本当に自分が注意を向けているべき事象はなんなのか、常に選択しないといけません。

 

現代のビジネスの根幹は、

「どうやって自分のところのプロダクトに興味を持ってもらえるか」の奪い合いです。

承認欲求の根幹は、

「どうやって誰かに自分自身のイメージを伝えられるか」の奪い合いです。

 

昔からいかに人の興味を惹くかという試みはありました。

手紙、日々の会話、街角の大道芸人、ファッション、街頭広告、雑誌の広告、ラジオ、TV…

 

そしてスマートフォンの登場によって、24時間ところかまわずあらゆる企業や人が、あなたの注意を惹こうとします。

 

私のインストールしているTinderは

「フリックしようよ!!」

「可愛い子との出会いを逃さないで!!」

みたいな通知を飛ばしてきます。

 

当のカワイイ女の子からは全然「今度会いましょう」みたいな熱いお誘いがきません。

いつきてもいいように目黒の寄生虫博物館でのデートプランを練っているんですが。

 

 かわいいアイコンを設定した女の子のTinderはもっと違う景色なんでしょうね。

常に自分(自分の性)に関心のある男の子たちが、興味を持ってもらおうと奇抜な挨拶文を練っては飛ばしてきます。

 

マッチングしても

最初の挨拶が「こんにちは!」だとありきたりすぎてダメだ、

それじゃ脈なんかないと聞きました。

どういうんだといいんですかね。

 

自分に興味を持ってほしいという想いや試みは昔からありました。

万葉集の最初の歌なんかミカドが菜を詰んでいる女の子に名前聞いてますからね。

 

一部の特権階級だけが和歌を詠み、雁の使い(宮廷で、紙にしたためた和歌を相手へ送るメッセンジャーを担っていたロリショタ)を使って気になる女の子や男の子とやり取りをしていた時代から、今や電子の海や雲を経由して、DMを飛ばしまくる時代がやってきました。

 

別にそれだけだったら私のような魅力のない男やもめに通知は来ないんですが、

どこかの親切な企業から日々通知が来るようになりました。

「かわいい女の子とヤレるかもしれませんよ」

「出会いほしくないですか?」

 

これも私が日々エロ漫画ばっかり読んでるから

マーケティングで高度な分析(エロサイトの閲覧履歴抽出)を使って

こいつは男だとバレてるんでしょうね、勘弁してください。

 

私は絵に描いた女の子に恋をして、夢の中で逢いたいだけのモテない男です。

エロサイトは生理的理由から見てるだけなんです。

 

頼むから、頼むからそっとしておいてください。

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▲今回の写真はこちら。

今に日本のアニメコンテンツは中華に十八番を取られると数年前には聞いてたんですが、ここまで早く来るとは思ってなかったです。

というか中華デザインのアズレンフォント素晴らしいですな。美しいです。

 

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ちなアズレンまだやってないです。

オタクは豆腐と煮て喰われる0916

 

めふぁにっきです。

 

いつから週1更新になったんだこのブログは。

 

本日も日記であります。

平日社畜任務を華麗にこなし、土曜日はまさかの体調不良でダウン。

半日で体調を治して日曜はしっかり遊んで参りました。

 

「人生に必要なものは知能でも狡猾さでもなく、

ただタフネスのみである」

 

という意味不明な座右の銘で生きている人間としては

疲労に寝不足にやや風邪というダブルパンチでありました。

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▲行き損ねた女子社員酒場。イベントだったみたいです。次は行くぞ…!

 

日曜日

今回はどじょう鍋であります。

そうです、どんぐりころころの歌で、お池にどんぐりが落ちて出てくるどじょうです。アイツです。

最近は池に何かを落とすと女神様が出てきてわけのわからん条件をつけてくる方が有名ですが、本邦ではどんぐりを池に落とすとどじょうが出てきて「コンニチハ」すると相場が決まっているのです。

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▲床に板が並んでいて、そこに鍋を乗せて胡座をかいて食べる不思議なスタイル。エキゾチックジャパン。

 

浅草にはどじょうを食う店があって

鍋に豆腐とどじょうを入れて水から煮てやると、だんだん煮立つ鍋の中で

どじょうはたまらず豆腐に逃げ込むものの、次第に豆腐も煮えていき、

鍋屋は豆腐に刺さったどじょうを客に出す…

 

というジャパニーズ=サヴェジ=グロテスク飯の代名詞みたいなのですが

今回はただどじょうを煮ただけのやつです。

 

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あのとにかくうまいですね、どじょう。

「どじょう」って書いちゃうと

字面がなんかうまくなさそうですが、

なかなかどうしてダシの味がしみて

ネギと絡めて山椒と七味をかけるとめちゃうまなのです。

 

アサヒビール本社のお膝元で瓶ビールで一杯やります。だんだん味覚がおっさんになっていくのを痛感しますがやめられないったらやめられない。

 

蒲焼にしてうまし、味噌汁にしてうまし、煮てうまし。

昨今絶滅危惧種のウナギがどうしたっていうんですか、みなさんどんどんどじょうを食べましょう。

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どじょうに舌鼓を打ったあとは、秋葉原に繰り出します。

メイドさんに目がないダチ氏がメイドの客引きに目を止めると、

30秒ほどでメイドカフェのお店に吸い込まれていきました。

 

いやえらい目に遭いました。

私、メイドカフェって大手さん(有名どころ)しか行ったことしかなかったんです。

観光客に対する対応も、リピート客に対する対応も完璧で、サービス業として完成されてるなぁという印象だったんですが、今回は違いました。

 

今回行ったところは、めちゃくちゃ太い常連さんで成り立ってて、あまり一見さんにちゃんと対応してくれてない感じで、カウンターに座って30秒で雰囲気を察すると、

 

「あ~~~しまった。なんつーところをチョイスしてくれたんだキミは」

とダチ氏を睨みつけました。

 

常連席は常連席でなんか賑わってるし、

好きな席を選ぼうとしたら

「あーーー!だめ!!こっちに座って!!」とか店の女の子にえらい怒られたし…

 

初めて行く飲み屋でも、

常連さんと店員さんの輪の中に入れないみたいな状況が苦手で仕方ないので、

あまり店員さんに相手されない中、

店員さんが常連さんとバンバン下ネタ飛ばし合っている雰囲気で、あーーーしまったここ一見さんお断りだ…来るんじゃなかった…感でいっぱいでした。

 

システム的に、常連さんのあまりいない時に、気に入った子にガンガンチェキ代出していかないと仲良くなれないんだろうなあ

 

あんまり書くとなんなんで、今日学んだこと

①よくわからないメイドカフェに行くときは事前に調査しましょう

②一見さんは冷遇されることもあります

③お金を沢山つかうよアピールしないとひどい目にあいます

秋葉原という街では金のないオタクは鍋のどじょうです。煮て食われろ。

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▲煮て喰われるオタク。

ちょっと一見ショッキングな見た目ですが、クタクタに煮えたオタクの上におネギをこれでもかとばかりに乗せていただきます。ぐううま。

 

完全に秋葉原B級グルメの街として遊んでいる私ですが、

こういう変わったメイドカフェ、どんどん挑戦していきます。

 

以下、私信

 

なまえい氏→次はいいとこチョイスしてね

 

シコホモ氏→次はなまえいにタカろうね

 

わいくん→今回誘えなくてごめんね。次はなまえいにタカろうね。

 

Y山氏→ハマるからメイドカフェには行かないとかよくわからんこと言わないで今度行こうね

雪国の無口な筋肉になりたい

 

めふぁにっきです。

 

いつもいつも日記と書きながら不倫の話とか書いてるんですが、今日こそは日記です。

 

ひっさびさに好きなゲームをしようと思ってパソコンを開いたら見事に土日の間に昼夜が逆転してしまいました。

 

自律神経系がよくわからないことになってるからか、いつもごちゃごちゃしている頭の中が今日に限っては静寂です。

 

普段から甲高い声でベラベラ喋ってる人間なので、無口で無愛想な低い声の男キャラにはものすごく憧れてます。

 

 

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▲ホッピ〜(黒)

 

未確認で進行形」を観ました。

福島県が舞台のアニメだと聞いて観るぞ〜って

 

こんなに雪がやたらに出てきてだいたい冬服着てるアニメ、他だとサウスパークくらいじゃないか?

 

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舞台は割と街(30万くらいの都市)なんだけど、

主要キャラの出身地がめふぁの地元から1時間ほど山奥に行ったあたりなので、

おおー!ここ昔行ったわ!しってるしってる!!ってなって新鮮でした。

 

あと主人公が無口イケメンなのでとてもすこ

 

 

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妹者とご飯食べに行きました。

大学時代、滅多に家族に会わなかったので

 

たま〜〜に家族に会うと

よく喋る母とよく喋る妹に挟まれて

(よう喋る人たちだなあ…)

と思っていたのを思い出します。

 

私もやたら喋る人間なので、

友達から何度か「お前よう喋るよなぁ」と言われたことがあるくらいなんですが、

 

今日に限ってはテンション低いので

ずっとお話してる妹者にうんうんと頷きながら

 

(よくしゃべるなぁ…

 

あの時俺に"よくしゃべる"って言った友達は

俺のことうるさいと思ってたんだろうなぁ…)

 

と思いながら話を聞いてました。

 

 

 

いや〜〜話さないのとても楽。

 

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カプチーノ風のなんかやたら泡が出てくるドリンクバーのアイスコーヒー

 

人の声というのは実はかなり社会的というか

文化の影響を強く受けるものらしくて

言語によって声の高さが違ったり、

同じ文化の中でも社会的地位によって違ったりするみたいです。

 

めふぁ家の弟くんは、

兄とは対照的に声がとても低く、

口数もやたら少ない子です。

 

一方兄であるめふぁは、

口数は多く、声もかなり高めに出します。

 

解剖学的に声帯はほぼ同じはずなのに、兄弟でこうも違うのかというほど高さが違います。

 

その証拠に私は寝起きになるとやたら声が低くなります。

理屈は自分でもわからないんですが。

 

新宿で高い声出してるオカマさんも

朝は野太い声出してるんじゃないかと勝手に思ってます。

 

んもぅなによぉ朝からピンポン(野太い声)

えぬえいちけぃなんて見てないわよぅ(野太い声)

そうよぉオカマはテレ東を見るのよぅ(野太い声)

 

個人的な仮説でいうと、

めふぁ弟は昔から集団の中で低い声でぼそっと話してても話を聞いてもらえるポジションにいたためやたらに声が低く、

 

兄はマシンガンのように高い声を出しながら集団の中で意見を主張していないと話を聞いてもらえないポジションにいたため、声が高いという説を提唱してます。

 

めふぁ家の偉大なるご母堂が家でブチギレヒートアップなさっている時に

思春期の兄貴ご母堂と同様に声と口数のギアを上げていました。最後らへんとかもう声の高さと速さ勝負になります。

 

男の子とヒスな母親が向き合って「初音ミクの消失」の詠唱バトルしてるのを想像してください。絵面としてはだいたいそんな感じです。

そうなると必ず負けます。声帯の構造が違います。ヘルツ数で勝てなくなって耳を塞いだ方の負けです。大抵はめふぁの負けです。

 

一方のめふぁ弟はというと、兄の下手くそな闘い方を長年に渡り見て知っているので、とてもご母堂のあしらいが上手です。

ご母堂が詠唱を始めると「あーあ始まった」とばかりにヘッドホンを装着してPCゲーを始めます。かしこい。

 

そうなってしまえば高ヘルツ高ビブラートを誇るご母堂といえど、画面の外側で口をパクパクくしてる変な人です。

とどめにヘッドホンを片耳だけ外して、

ドスのきいた太い声で

 

「なんか言った?」

 

とか言ってやれば試合終了です。

 

彼のこの闘い方は思春期を過ぎて確立され、

彼はオスとしての武器(腕の筋肉)を露わにしながら静かにネトゲをする男になりました。

 

我が家のご母堂は、

ヘルツの通用しない相手と、

自分の飼ってる筋肉(めふぁ父)

より強い相手には歯が立たないという性質があるため、めふぁ弟には何も言わないようになりました。

 

…というような様子を実家に帰るたびに

リビングでちまちま酒を飲みながら

ぼんやり眺めている兄であります。

 

はぁ筋肉欲しい。

 

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ギャルギャルファイアエンドレスナイト

 

めふぁにっきです。

 

日記なのに週一更新。

 

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▲おねこさまほどかわいらしくて平等な生き物はいないです。おいそこのお前鯖缶よこせ。

 

電車に乗ってたら、海外帰りでしょうか、

よく日に焼けたギャルとギャル男が団体で乗ってきました。

 

ショートカットにキャップをかぶり、

デニムのホットパンツ。

こんなに絵に描いたようなギャルはひさびさに見ました。スバラシイ。

 

なんかやたらいい匂いしてくるし、

山籠り明けのオタクには少々キツいくらいです。

 

ギャルとギャル男で

やれこの前浮気したのがバレて殺されそうみたいな話をキャッキャウフフ話しております。

 

ギャルたちの前でスーツのくたびれたリーマン姿でいると、悲しい疑問がたくさん湧いてきます。

どうしてギャルと付き合ってないのか?

どうして自分はギャル男じゃないのか?

 

そんなことを考えている間も

ギャルはギャルトークを続けます。

 

ギャル男「や、マジでやべーんだってうちの彼女w次浮気バレたら殺されちゃうってw」

ギャル「いっそ殺されてみれば?w」

ギャル男「へ?w」

ギャル「いや、だから、殺されたらもう二度と叱られることもないし、浮気することもなくなるよ!」

 

…なんということでしょう。

わたくし感嘆してしまいました。

こんなギャルギャルした若い娘の口からこんな刹那的な言葉が飛び出てくるだなんて…!

言葉の端々に無常を感じます。

 

げにエモし。

 

ギャル男くんはちょっと引いてるけど。

 

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▲飯テロブログなので、ねこの画像だけ上げてると読者の後輩に「先輩猫食うんすかww」とか揚げ足取られそうなので先手を打って飯。

 

吾輩は猫である」に出てくる、九州出身の実業家の多々良くん(六つ井物産)は猫を鍋にして喰うそうで。作中で腹を空かせた学生はすぐ猫捕まえて喰うみたいな描かれ方をしてた気がするけど、九州で4年学生やってまだ猫食ったことありません。

美味しい専門店あったら教えてください。

 

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▲Siriちゃん他の女の名前呼んだらブチギレ問題

 

電車の中の盗み聞きが好きなので、

というか辞められないので

電車の中で単語帳をめくるみたいなのが全くできません。

 

予備校時代、「鉄緑」の英単語をめくってても

隣の男女の会話がどうにも気になってしまって

女「ハナちゃんがさぁ、不倫してたんだって」

男「そっかぁ、ハナちゃん不倫してたんだ」

女「でね、この前不倫やめたんだって」

男「不倫やめたんだ、なんで?」

女「ハナちゃん曰くぅ、『コイツ奥さんいるのにアタシとセックスしてるんだ』って思ったら、バカバカしくなって別れたんだってー」

男「そうなんだー」

 

みたいなのが聞こえてくると気が散って

(いや男返事テキトーすぎんか…)

とかツッコミ入れてしまうんです…

 

不倫、ダメ、ゼッタイ。

 

なんか案外みんなそのへんでホイホイ不倫してるし、ホテル屋さんなんか不倫で半分くらい儲けてるんだろうし、不倫は文化。不倫は経済。

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▲この画像は不倫とはなんら関係ありません。