めふぁにっき

すべての独身が自由に楽しく生きられる世界のために

吐くと飲むとは裏表1008

 

めふぁにっきです。

ひさびさの更新です。

 

社畜の闇に呑まれつつ、ひたすら本を読んだり映画を観たりしてました。

生存報告も兼ねて更新更新。

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▲生きることは食うことと見つけたり

 

7月8月はなんかひたすらあちこちに文章を書きまくっていたら

9月上旬くらいになって

「あ、やべ、インプット足りねえ」

という感覚に襲われたのでやたらと本を買っては読んでました。

別に何が足りないわけじゃないんですが、人と話したり物を書いたりしていると、書いている話題について自分が何も知らないことに気づいてしまいます。

 

くだらない話を友達としている最中に

「つまり2010年代後半の日本におけるギャルというのは~」

したり顔で言いかけて、(あ、やべえ、俺ギャルの歴史何も知らねえな)と気づいてしまいます。どうしてギャルと付き合える人生を歩んで来なかったんだろう俺は。

 

先輩いわく、

アウトプットしてて、「インプットが足らねえなあ」と思ったら本でも読めばいいし、

インプットしてて、書きたいことが溜まってくれば書けばいい。

 

テキトーだけれど、なんだかそういうことらしいのでとりあえずAmazon様に泣きつきます。

 

Amazon様は全智全能。

なんでもお見通しなので

「キミが読みたそうな本はこれだね~?」

とにこやかにレコメンドを出してきます。ありがとうアルゴリズムよ。

 

迷える人の子を見守り給え。 

終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)

終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)

 

 

 2018年の時点に生きる私からすると、80年代から90年代に若者だった人は当時何考えていたのかなという興味が強くあります。

同じ事象であったとしても、その時代の空気感の中でしかできない解釈があって、その時だからこそ下された判断があって、そんなことがいくつも重なりあって一つの時代ができているというのがどうにも私には不思議でなりません。

 

ネットもねえ、深夜コンビニもねえ、ジュリアナ東京もまだできてねえ

 

1985年にセブンイレブン

「深夜に!コンビニで!いなりずしが食べられるよ!」

というCMを流せば年寄が

「いなりずしってのはなあ!朝から!かーちゃんがせっせと酢飯つくってやっと食えるもんなんだよ!」

と苦言を呈する。

 

今から考えるとギャグみたいな時代に、いったい何を考えて生きていたの??

というのが知りたくてしかたないです。

 

なんといったってXVIDEOSがなかったんだぞ??

XVIDEOのない時代なんてそこらじゅう欲求不満の野郎で充満してるとしか思えない。

 

この時代の本を読むと、

「上の世代は学生運動だ、過激左翼がテロ起こすわ、俺らのことは新人類とか呼んでくるし嫌ねえ」

みたいなことが書いてあったりするし、自分以外の世代が何考えているかわからないってのはあんまり変わらないみたいですな。

 

たぶん2018年に生きる若者も、10年も経てば

「おとーさんの世代ってTinderってよくわかんないアプリで恋愛してたんでしょ?」

「ママはそうだな」

「えっ…二人はどこで知り合ったの」

Twitter

「そっかあ…おじいちゃんは」

「合コン」

「そっかあ…」

ってなるのかな。

 

いつの時代も末代は老いて死にゆくのみだから

そもそも結婚もせず、子供も作らないのが当たり前の世代が

10年経とうがこんな会話が成立するとは限らないんですが。

 

めぞん一刻 (1) (ビッグコミックス)

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