中华龴ゾヒズムの時代
めふぁにっきです。
一時期、体動計なるものが少し流行っていたので自分もつけていた。
最初は万歩計に毛の生えた程度の機能しかなかったが、最近では心拍数や消費カロリー数まで測ってくれるらしい。
アプリと連動して、1日を振り返って自分がどこでストレスを感じたか、運動不足ではないか確認できるというわけだ。
友人と会って、お互いに体動計をつけているのに気づくと顔を見合わせてニヤリとする。
「君のはどこのだい。僕はHUAWEI。」
「XIAOMIだね。」
「自分の体動データを中華の巨大企業に逐一吸い取られるのはどんな気分?」
「最高だね。未来のアジアの覇権国家に身体データを持っていかれるというシチュエーションがたまらん。」
等々、謎な会話を繰り広げる。
中華という覇権国家。
体動データを収集する巨大企業。
ディストピア系SFの権化を詰め込んだものがコンパクトに自分の腕に巻きついているシチュエーションがたまらない。
やはりGooのグルでも熱帯雨林でも林檎教でもこうはいかない。顔本てなんだ?
林檎教だけはキリスト教ベースのヒッピーカルト感があるけれど、やはり覇権企業は中華企業でなくてはならない。アメリカの伴天連企業にはどうしても中華の厚みは出せない。
かつて日本企業が台頭して、日本製品が世界に溢れた時でも、西洋人はこんな気持ちにはならなかっただろう。中華文明の辺境(リムランド)に位置する日本人だからこそ味わえる感覚だろう。
始皇帝が東の海に豊かな蓬莱の島を夢見たように、漠然と日本人は西の大陸にはなにかとてつもない夢があるという幻想を昔から抱いている。地理的に言っても日本列島にとっては太平洋側より日本海側が「表」だった時代の方が歴史の中では長いわけだから、当然ではある。
100年前に帝国主義日本が描いた、満蒙の大地に浮かび上がるアジア文明の花は、広州の漁村に突如現れた、先端技術の工場群とそびえ立つ摩天楼として返り咲いた。
もはやこうなってくると同胞というより脅威だが、中華ならなにかとてつもない、西洋人も太刀打ちできない巨大文明を築いてくれる。
心から支配されたいわけではないし、脅威にも感じているが、なぜか台頭と世界支配をどこか受け入れてしまう部分がある。
そういう期待が自分の中にはある。
日本経済の失墜と中華経済の台頭で平成は終わった。
令和の御代は、中華マゾヒズムから幕を開ける。