めふぁにっき

すべての独身が自由に楽しく生きられる世界のために

親分の品格

めふぁにっきです。

 

大叔母の話。

もうかなり高齢で、80は過ぎるだろうか。

私が幼少の頃から、会う時は常に取り巻きを1人か2人は必ず連れている。しかも会うたびに顔ぶれが変わることがある。多分子分のストックがあって、今日は誰を連れていくか決めているんだろう。ソシャゲのプレーヤーみたいな婆さんである。

そんな一風変わった私の身内の気質は、端的に言ってオヤブンそのものなのだ。

 

極めて小柄で、口調は典型的な東京の山の手の人という話ぶりで、口は少し悪いが穏やかで「あたしはねぇ」「あの人はねぇ」から話が始まる。とてもじゃないが他人に何かを強制するタイプの人間には見えない。

 

しかしよくよく話を聞いていると、彼女はオヤブンでなければ持ちえない認知を獲得している。

まず他者への評価について。

「あいつが気に食わない」とか、「こいつとは気が合う」とか、そういう話は一切しない。

彼女の中で、他者の評価というのは「忠実」か「献身的」か「それ以外」くらいのカテゴライズしかない。

◯◯さんてどんな人?と人に問うた時、最初に口をついて出てくる属性は、その人が何を重視しているかを如実に顕している。

「◯◯大卒でねえ」

共和党支持者でねえ」

「かわいい娘でね」

「仕事がめちゃくちゃデキる人でね」

裏を返せば本人が他人について何を気にしているかが一言目には出てくる。

 

ちなみに大叔母の場合、先のカテゴライズに即した言葉が出てくる。

「とても献身的な人でねぇ、本当に喜んで尽くしてくれるのよ、ありがたいねぇ」

 

ふむ。

で、どんな人なの?

「この前もね、◯◯を持っていってくれてね、付け届けが上手な子なのよ」

 

なるほど。

献身度のカテゴライズ→判断の基準となった行動→過去の行動から推測される得意分野の順で人間を観察しているようだ。

 

普段、めちゃくちゃ穏やかに話してはいるが、行動をベースに自分への貢献度を測っている。

相手が自分に対して敵対的であるという想定は全くしていない。およそアンチにかける時間も思考ももったいないという具合である。

 

ちなみに、オヤブンがいれば子分もいる。

子分さんにお仕事は大変ですかと聞くと、

「オヤブンさんはいつも朝早くに起きていつも懸命でいらっしゃいます。」と称賛の言葉が出てくる。子分が本当によく訓練されている。

といって、親分は私を崇めろなんて一言も言っていない。ただ誰が献身的かを口にし、「いつもありがとう、あなたはこの仕事が得意なのね」と声をかけ続けるだけである。

 

ファンタジー世界に出てくる敵役や魔王は、正義の味方を憎み、罵り、そしてよく構う。時に味方の小悪魔を斬って捨てる。

しかし真の親分というものは、ただ自分に尽くしてくる臣下を褒め称え、敵対する勢力には見向きもしない。そんなものに費やす労力があるならば一言でも多く臣下を褒める。

臣下も臣下で、その称賛を心から喜び、地の果てから馳せ参じてでも、親分のために尽くすことを無上の喜びとしている。

 

オチなし。

 

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▲この前やったボォドゲェム 男同士でひたすらプロポーズしてた。