めふぁにっき

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文明はゴリラとともに

めふぁにっきです。

 

異世界は○○ホとともにではないです。

父親に勧められて『世界史とつなげて学ぶ中国全史』なんて本を読んでおもしろいと思ったのでそれと絡めてごちゃごちゃ書きます。

 

相当更新をサボっていたのでご容赦ください。 

世界史とつなげて学ぶ 中国全史

世界史とつなげて学ぶ 中国全史

 

インダスでもメソポタミアでも、文明というのはある日ポッとできあがって、それが周辺の蛮族諸君と戦いながら、今に至るまで脈々と受け継がれてきたなんてイメージがあるかと思います。

実際よく調べてみると、大陸の文明なんてものはしょっちゅう滅びてはまた再建され、ということを繰り返しています。文明が滅びる直接的な原因はお決まりのパターンで、周辺の蛮族に攻め込まれて滅びるというやつです。

あまりに攻め込まれるので、大陸の歴史ある都市はたいてい巨大な要塞の体をなしています。

 

『世界史とつなげて学ぶ中国全史』は、文明VS蛮族という対立構造を一度取り払って、

 文明とは、農耕地域と放牧地域の交易の中で生まれた都市を中心に発展したものであり、単に『文明側』単体で成立するものではないというところから始まっています。

 

上の文脈でいうところの『蛮族』は、歴史の中で何回となく農耕地域へ侵攻し、都市と国家とを滅ぼします。

征服した地域の支配者になった蛮族たちが蛮族然としているのも最初のうちだけで、代を追うごとに『文明』のスタイルに同化していきます。3代くらい経つと、ついに区別がつかないところまで融合します。

そして時代が下って話は振り出しに戻り、『蛮族』が『文明』に攻め込んできます。

話はこの繰り返しです。

 

ここからは自説。

結論から言えば、『文明』は絶えず『蛮族』によってアップデートされており、『文明』は『蛮族』とセットになることで1つの系を成している……という話。

 

このアップデートのことを「革命」とか、昨今は「イノベーション」と呼ぶことがあります。

文明には「起動」「拡大」「維持」の段階があります。

「起動」は0→1、無から有を作り出す。

「拡大」は1→100既存のスキームを駆使したり組み合わせたりして生み出す。

「維持」は1を1、100を100にし続ける段階。

そして文明の大部分の労力というのは「維持」に注がれています。

 インフラを整備し、人口を調整し、犯罪者を取締り…やることだらけ。

 

維持は秩序を前提としているため、次第に文明の内部組織は硬直化していきます。

年功序列官僚主義、あんどそーおん

 

文明に段階があるように、人間にもそれぞれの段階に適した種類があります。

無から作り出すのがうまい人間、与えられた枠組を拡張するのが得意な人間、決められたことを100%で実行しつづけるのが得意な人間…。

秩序を重んじ、維持に偏り続けると組織や文明は硬直化します。

中にいる人も、維持が得意で、秩序を重んじる人間が多数を占めていきます。

 

反対に、秩序を重んじず拡張したがる人間や、無から新しい秩序体系を作り出す才能を持った人間は文明の中では次第に不適合の烙印を押されるようになります。

 文明の硬直化は加速し、留まることを知りません。

この硬直に対する特効薬は昔から研究されてきました。しかし自由市場経済も技術も企業も未熟だった当時では、内部から文明の硬直を治すやり方よりも、圧倒的に外からぶち壊して組み立て直す方が早かったのです。

 

 文明の中心から遠く離れた場所や、文明に見放されたところで文明のアップデートは始まります。

それは広々とした荒野だったり、流刑くらいしか使いみちがないと思われている島だったり…監獄であれ辺境であれ、そこから「起動」する人々は文明の中では間違いなく社会不適合者です。旧来の文明人とは思考の点で圧倒的な差異者です。

 

しかし彼らは異質であると同時に、文明に対して強烈なコンプレックスを抱えています。もしそうでなかったとしたら、文明に興味を持つことさえなく、文明世界の支配者になろうともしなかったでしょう。

コンプレックスのない人にとって、コンプレックスの対象物は特に何の意味も持ちません。もし対立の末文明に勝利したとしても、都市を滅ぼした後、荒野へ還り、もとの生活を続けるはずです。

文明を破壊してそこの支配者となった蛮族は文明の破壊者であると同時に、継承者でもあり、再建者でもあります。0から1を作り直すように、文明の中のシステムを再構築します。こうして文明はアップデートされます。

 

しかし話は振り出しに戻ります。

時間が経つにつれ、文明は再構築された秩序の維持に労力をかけるようになります。

蛮族も3代ほど経つとすっかり文明の人と同化し、文明にアイデンティティを持つようになります。どれだけルーツがあるといっても、自分がいる空間に自意識は影響されます。

江戸に生涯の半分住んでいた大名の子女や、フィレンツェの大学に通っていたヨーロッパの諸侯の子息たちがどれくらい地元意識を持っていたかは疑問です。おそらく江戸や大学コミュニティ、貴族コミュニティにアイデンティティを持つようになるのではないでしょうか。

そうして改革を遂げた血族も、いつしか文明内部に取り込まれて破壊者たりえなくなるのです。