脱・会話のススメ
めふぁにっきです。
渋谷のネパール料理店で友人2人と飲んできました。
1人はバイト上がりと酒で肝臓疲れ、
もう1人は21時すぎると体質で眠くて仕方がない人間、
私めふぁは飲んだくれ。
もはやそれぞれ思考力や判断力は地におちており、一つの話題を話し続ける力がありません。3人寄れば文殊の知恵とはいうものの、アホは何人集まってもアホなのです。
当然会話の成立するはずもなく、ただめいめいに言いたいことを言いたいタイミングでいうだけの会となりました。
ぐだぐだ飲みを続けた結果、
その日の結論は
①飲むならば昼間目の醒めているうちがいい
②店のテーブルは可愛い女の子のテーブルの隣がよい
③やはり現代人に足りないものは脱・会話である
というところに至りました。
脱・会話とは何かという話ですが、私にもよくわかりません。
会話が「2人以上で言葉を重ねることによって一つの文脈や意味を共有しようとする試み」だとしましょう。
脱・会話はあえて会話のテイをとって言葉を重ねつつも、そこになにかの意味や文脈が生まれるその瞬間に別の誰かがてんで関係ない話を振ってくるか、くだらないダジャレを言ってそこまで積み重ねた意味をぶち壊しにします。そんなことを何度も繰り返すけれど、言葉を交わすことだけはやめないという試みです。
何も特別なことじゃなくて、終電後の飲み屋街か老人ホームではよくやっていることです。
一度仲のいいお友達とやってみてください。
くだらんダジャレを言って場をしらけさせるのがとにかく好きな人が1人いるといいかもしれません。
最初の3分間は何の脈絡もない会話に苛立ちを覚えるかもしれません、大丈夫、すぐに楽になります。そのうち会話に意味をもたせるなんて馬鹿馬鹿しいとさえ思うようになります。
ひょっとすると人って生き物はこうやって意味のない声を交わし合っているだけで楽しくなっちゃうもので、あんまり誰が何を言ったかとか関係ないのかもしれません。
発情期のオスも相手が可愛いかどうかが重要で
「ええ~すっごぉーい!」「そんけーしちゃう!!!」とか
女の子がほとんど生返事みたいな返事しててもあまり問題ないですからね。
傍から見てると馬鹿にされてるようにしか見えないんですが、
言われた当人は変わらず鼻の下伸ばしっぱなしで「だろぉ~?」とか言ってるからわからんもんです。
夜中に作業や勉強をしていて、なんだか人の声が聞きたくなったとき、
私は外国語のラジオ放送をよく聴きます。
日本語の放送だとついつい話の内容に聞き入ってしまいますが、外国語ならそれはありません。それでいて「人の声を聴く」という目的は十分満たせるのです。
現代社会は、社会に漂う意味や文脈を見つけては片っ端からぶち壊す社会です。
そのくせ「個々人の感性こそが唯一絶対の価値だよ」ということは共通にしています。
そういうややこしい世界に生きているので、現代人どうしの会話は極めて厄介です。
相手を役割意識に押し込めてはいけないし、自分のあたりまえが相手にとってあたりまえだと思い込んでもいけません。暴力や暴言なんてとんでもない。
目の前の人が男性に見えても、異性愛者だと決めつけてはいけません。
もっと言えば男性だと決めつけることもいけません。
ああめんどうくさい。
そんなことだから、現代人どうしで会話をしようとするのがそもそもの間違いです。
でも誰かと声は交わしていたい、そんな貴方のために「脱・会話」があります。
一緒に太鼓をポコポコ叩くと楽しいとか、マリファナキメると楽しいとか、
なんかそれくらい根源的なレベルでいいと思うんです。
言語で会話するの、やめましょう。
▼現代人の会話に疲れた貴方に、原始人になりきって癒やされる遊び