スノコ寝で尻にストライプ
めふぁにっきです。
ニトリに行ってきた。
高校生くらいの時は家具屋さんのありがたみがわからなかった。
広いフロアに、似たようなベッドや椅子やタンスが並んでいる。
見ようによっては殺風景。親の付き添いでいっても少し退屈な場所だった。
『どうぶつの森』をやっていても、家は家具を置く場所ではなく物置だった。
ひたすらハニワと果物が床に並んでいた。
配置を考えるのがめんどうくさいし何より場所を取る。
当時私は祖父の家に住んでいた。それなりに老齢になってくると、家具も揃ってくるし、クオリティも上がってくる。生活の様式も老夫婦が数十年単位で固めたものだから、配置にも選び方にも色合いにも迷いというか無駄がない。
亡き祖母が選んだ家具たちはそういう意味で充実していた。
恵まれていたからこそ、あえて家具屋さんに行こうとは思わなかったし、良さもわからなかった。
そこから生活が一転する時がやってくる。
高校を卒業して、予備校の寮に入った。
浪人生活はスノコの上にシーツを敷くところから始まった。
収納は全寮生に共通のクローゼットだけ。一気に家具のない生活が始まったのだ。
だが私は浪人生活を通して、家具を買い揃えるでもなく、他人の部屋に居候することを覚えてしまった。
その後の大学生活でも似たような生活を繰り返し、まったく家具は増えなかった。
椅子と机のない生活を送っていたので、勉強も読書も、ワープロで文章を打つことさえできなかった。
論文もほとんどは大学の図書館で書いた。
長時間向かって疲れない机がなかったからだ。
社会人になってしばらくして、自分の金で家具を買うことを覚えた。
家具はいい。モノに形があって、用途がある。
家に置いてあるだけで生活の中の選択肢が増える。QOLが上がる。
生活に余裕が出てくると自分の生活をより良くするものはなにか普段から考えるようになる。
そういうシミュレーションができるようになった頭で家具屋さんに行く。
広いフロアに、用途別で並んでいる家具はもはやただのモノや形ではない。
「こういう生活をしてみませんか?」という提案である。
それを眺めながらどういう生活をしようか妄想をふくらませる。
こいつをどこに置こうか?
今おいてあるタンスと並べたら色合いはおかしくないだろうか?
このソファでだらだら映画を見たらどんなにか楽しいだろうか?
今は家具屋さんの買い物の仕方、楽しみ方が分かるようになった。
(今日は座椅子とクッションを買ってご満悦なので記事を書いた。)