ぼくは化学ができない
僕は化学ができない。
生物もできないのだが、習ったことがないからできなくて当たり前だ。
父親も化学ができない。
中学校の時に、下方置換とか上方置換を習ったので、家に帰ってそういったら、はじめて聞いたような顔をしていた。
ひょっとすると親譲りなのかもしれない。
化学は一応授業を受けている。寝ていた時間も長いが一応教室にはいた。
最初の先生は未定係数法をフィーリングで解くとか言っていた。
センスがなかったのか、フィーリングで解くことはついにできなかった。
学校というのはどうやらものを教える場所ではないらしいということに、この頃から薄々勘付きはじめた。
夏に来た教育実習生はノールックで中和滴定の実験をやっていてすごかった。
ノールックで中和滴定ができても東京の理科大学では男ばかりだからモテるとは限らない。
そこそこいいルックスなのにもったいないなという感想だけを覚えている。
こんなにもちゃんと受けているのに、さっぱり化学がわからない。
糖やアミノ酸は、あまりにわからなすぎて昼寝の時間だった。
ノートを見返してみるが、字が汚くて数字が読めないしベンゼン環や五員環を描くのがめんどくさいのか後半からよくわからない多角形が書かれている。
手書きのノートにはコピペ機能がないから不便だ。
行列の授業も同じ理由で0を書き続けるのが面倒で授業を受けるのを辞めてしまった。
塾講師をしていた頃、生徒に化学物質の名前が覚えられないと相談された。
実は自分もよくわからなかったので、あれはラテン語の羅列でできているから、元のラテン語を覚えれば君も化学物質の名前を覚えられるよ、二郎のトッピングみたいなもんさと教えてあげた。
二郎のトッピングってなあに?と続けて聞かれたので、「ニンニクヤサイマシマシアブラカラメ」を教えてあげた。生徒の化学の成績は上がらなかった。
高校生の時、隣の県の大学に模擬講義を受けに行った。
発酵についての授業だった。
微生物がなにかを分解して、新たな何かを作り出す営み。これが発酵だという。
ちなみに、同じ事象を「腐る」と呼ぶことがある。
そのへんの基準は人間に委ねられているから、人間に有益なものを発酵と呼ぶのだという。
ペットボトルに砂糖水となにかを詰めて、アルコール発酵する実験をやった。
ペットボトルの中で、気泡がポコポコと上がっていく。
発酵ペットボトルは持ち帰っていいよと言われ、リュックに詰めて持ち帰った。
自室の窓際に発酵ペットボトルを置いて、帰宅すると気泡を眺めるのが日課になった。
ときどきひっくり返してやる。更にもとに戻す。
出来上がった気泡が上下へ移動するのが楽しかった。
ある日帰宅すると、ペットボトルは消えていた。
部屋が片付いていた。
なにかを察したぼくは、台所で洗い物をしていた父親に食って掛かった。
「窓際においてあったペットボトルはどうしたの??」
「ああ、なんか腐ってたから捨てたよ」
ぼくはおこった。
「あれは腐ってるんじゃない!発酵させていたんだ!」
ごめんよ、とつぶやく父親を背に、綺麗に洗って乾かしているペットボトルを見てぼくはため息をついた。